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4:10~
みなさんおはようございます。
今この場に私が立っていることを、自分でもなんか、ちょっと不思議な気持ちでここに立っています。
これが今日のフェスティバルのパンフレットで、「約束は誰も無理をしてはいけません」と書いてあるんですね。
私いま、結構無理してここに立っているんですけれどもwと、実は思います。
私が原子力に反対しようと思い立ったのは、1970年の10月でした。
かれこれ42年経ってしまいました。
その私の42年の人生の中で、なんとか大きな事故を起こす前に原子力発電所を止めなければいけないと、ずーっと思い続けて来たのですが、残念ながら私の願いは届きませんでした。
去年の3月11日に、ついに私が恐れていた事故が福島第一原子力発電所で起きてしまい、自分の力の無さ、なんとも言葉にできないほど無念に思いました。
でも、やめるわけにはいかないので、その後も何とか原子力を止めるためにと思いながら、毎日を生きてきました。
昨日は可児(かに)市のみなさんに呼ばれて可児市に着きました。
今日はこれから鈴鹿に行って鈴鹿のみなさんに話を聞いてもらおうと思っています。
そうしたら、その事を今日の主催者の方がどこからか聞きつけて、「可児から鈴鹿に行くならばここは通り道だからまた寄って行け」と、ww そういうお誘いでした。
正直言ったら、「まいったな」と、「だいぶ疲れているのにな」と思いまして、無理しちゃいけないというのに無理しなきゃいけないと、思いながら、そんな気持ちを抱きながらここに来ていますけれども、
でも、ありがたいと思います。
皆さんこうやってこの場に集まって下さっているわけですし、なんとしても原子力を私は止めたいと思いますので、みなさんのお力を借りながら、これからも歩みたいと思います。
それから今ご質問のあった件ですが、原子力発電所は湯沸かし装置です。
そう私はずっと言い続けてきました。
200年前に、ジェームスワットたちが発明した蒸気機関という機械です。
非常に古めかしい機械で、水を沸騰させて蒸気にして、その蒸気で、ただ、タービンという羽根車をまわすという、それだけの装置です。
原理はもう、なんていう事もないし、本当に古めかしい道具なんですけれども、でもその原子力発電所は、お化けのような巨大な工場になってしまって、都会には決してつくることはできずに、過疎地に押し付けるという事になってきました。
その原因は非常に単純です。
湯沸かし装置で使う燃料がウランであって、ウランを燃やしてしまえば、核分裂生成物という放射性物質がどうしても出来てしまう。
そうなればみんな被ばくをせざるを得ない。
日常的には労働者が被ばくをするわけですし、その地域住民が被ばくをする。
そして万が一事故になってしまえば、今回の福島原子力発電所の事故が示しているように、大変なことになってしまう。
だから「出来る限り都会から離して」という事でやってきたわけです。
しかし、少しだけ原子力発電所を都会から離したところで、「結局は同じ事だったんだ」という事が、今回の福島の事故で皆さんにも分かっていただけたのではないかと思います。
今現在、福島第一原子力発電所周辺の1000平方kmの場所が、国によって強制避難という地域に指定されています。
琵琶湖の1.5倍です。
私は先週琵琶湖のほとりの長浜というところに行きました。
しばらく琵琶湖のほとりに立って見ていました。
琵琶湖は湖ですけれども、海のように大きいなと思いました。
その琵琶湖が1.5個入ってしまうほどの面積が、放射能でモーレツに汚れてしまっていて、「もう人が住めない」ということで、ほぼ十万人の人々が故郷を追われています。
みなさんも、それぞれご自分の住まいがあって、故郷と呼べるようなところがあるかもしれません。
何十年かそこに住んできて、その土地に繋がってという生き方を、多分皆さんしているわけですけれども、それが一瞬のうちに奪われてしまって、その場所に戻れないという人たちが十万人を越えるという事になっています。
その周辺には、実は日本の法律にしたがえば、放射線の管理区域にしなければいけない。
つまり、無人にしなければいけないという面積が、約2万平方km広がっています。
そこに住んでいる人は多分1000万人に達するのではないかと私は思います。
「それほどの広大な土地を放棄して無人にする事は出来ない」と、日本の政府はどうも踏んだようで、「逃げたい奴は勝手に逃げろ。国はなんの補償もしないぞ」と、そういう作戦に彼らは打って出ました。
しかしそうなってしまえば、おそらく逃げられる人はほとんどいません。
今日この会場にも福島から避難をされてきている方がいらっしゃるようですけれども、自分の生活を捨てて逃げるという事は、大変な重荷を背負わざるを得ないわけです。
それでも何とか逃げたいとして、家族ぐるみで逃げた人もいると思います。
そして、生活を支えるためには父親は汚染地帯に残って、母親と子どもだけを逃がすと、そういう人沢山いる筈だと思います。
汚染地帯に残れば被ばくをします。必ず健康被害を受けます。
それを避けて逃げようとすれば生活が崩壊してしまう、家族が崩壊してしまうという、そういう大変な重荷。
「どちらを選ぶのか?」という選択を迫られている人たちが福島を中心として沢山いるという、そういう現実です。
今日ここは、今私がいるのは岐阜。
私は大阪に住んでいます。
そういうところに住んでいると、福島の事故なんか無かったかのように、皆さん普通に生活をしているのですけれども、本当の事を言えば、東北地方、関東地方の広大な面積を、実は失わなければいけないほどの汚染を受けている。
その事に多くのみなさんに気がついて欲しいと思います。
そして岐阜のみなさんに対して一言言うのであれば、この岐阜から西の方に行くと、若狭湾という所があって、その一帯に14基の原子力発電所が今建っています。
すでに大飯原子力発電所は運転の再稼働という事をさせられてしまっていますし、これから総選挙があって、自民党が勝つという事になれば、次々と原子力発電所が再稼働という事になるだろうと私は思います。
そしてもし、若狭湾の原子力発電所で、福島と同じような事故が起きれば、放射能は関ヶ原を越えて岐阜に飛んできます。
みなさんの住んでいるところが、まさに今の福島の事故で示されているような、猛烈な汚染地帯に巻き込まれるという事になるだろうと、私は思います。
そうなった時に皆さんはどうするのでしょうか。
もちろん一刻でも早く逃げることが必要ですけれども、逃げるという事、その事自身が大変だし、「汚れてしまった故郷に2度と戻れないというような重荷」を誰も背負いたくはないだろうと私は思います。
そうなればできることは一つです。
要するに原子力発電所を廃止するという、それだけです。
なんとしてもそれをやりたいと私は思います。
今日のこの集会の約束というのは、先程聞いていただいた「誰も無理をしてはいけません」というのですが、今日この集会に参加する資格というのは、「あなたが、あなたとしてそこにいること」と、いうのが、参加資格だそうです。
この参加資格に、私は何とか自分を満たして、この場に立っていたいと思います。
「私が、私としてここにいる」という事を、これから自分に課していきたいと思います。
私にできることはほんの少しの事です。
これまでもほとんど何もできないまま原子力の暴走を許してきましたし、事故も止めることができませんでした。
でも、私にできることは必ずあると思いますので、私はやり続けたいと思います。
今日この会場にきて下さっている方々は、それぞれものすごい個性豊かな方々がこの場所にいらっしゃると思うし、それぞれの方々が、自分の個性を輝かせて、自分のできることをやってくださる。
歌を歌って下さる方も今日はいらっしゃるようだし、芸をやって下さる方もいらっしゃるようだし、それぞれに自分の個性を発揮して原子力を止めるという事に立ちあがって頂けるなら、希望がないわけではないと私は思いますし、是非ともそうやって皆さんの力を合わせて、一つの原子力発電所も再稼働させない。
大飯も止めるという方向にもっていきたいと思います。
今日は、昨日の雨とうって変わって良い天気になって、私は雨は大好きですけれども、でもこういう集会の時にはこういう天気も良いと思います。
この空はもちろん福島にもつながっているわけで、今現在、福島の汚染地で人々が生きている、仕事をしている、子どもたちが泥んこになって遊んでいるという、そういう場所と今この場所はつながっているという事を忘れないでいたいと思っています。
今日、福島もこんな良い天気であればいいなと私は願います。
私は今からまた鈴鹿の方に出かけますので、これで失礼させていただきます。
ありがとうございました。